STILL ILL

ロスジェネ・氷河期世代の雑記帳。

松岡正剛「意味に飢える社会」

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起業セミナーを受講したり、図書館でリサーチするなどしてました。
自身のキャリアやスキル(専門分野)をどうオランダで展開していくのか? 自分の好きをどうビジネスとしてやっていくのか? 関心とニーズの狭間で思考を巡らすこと自体は大好きな行為なのですが、渦中はいつものモヤモヤ。水面下の白鳥のごとくなので、早くビジネスプランを形にしていかねば。

さて、リサーチ中に見つけた松岡正剛さんのコンテンツとメディアに関する論考が興味深かったです。

www.dhbr.net

氏のセミナーの広報担当したこともあるのですが、いかんせん、情報量がすごくって、受けてに相当なリテラシーが求められるんですよね。今回も例に違わずではありますが、

  • 従来のコンテンツ・ビジネスの段階

①品質の良いコンテンツを作る。②そのコンテンツを広く流通させる。③顧客がそれらのコンテンツに満足する。

  • ネット時代のコンテンツ・ビジネスの段階

③顧客がそれらのコンテンツに満足する。①品質の良いコンテンツを作る。②そのコンテンツを広く流通させる。

ユーザー主導のコンテンツ造りはサプライヤーの怠慢に過ぎ、これではユーザー側にコンテンツを愉しむリテラシーやメソッドが蓄積されないのに、供給されるコンテンツが増やしてばかりだ。つまりユーザーがおバカになるように仕向けすぎだとの問題提起をしています。

それを改善するための5つの提案にも納得するのですが、今回響いたのは、意味に飢える社会に向かっているのではないという指摘で、うち「イアン・ハッキングが指摘したように「偶然を飼いならす技能」が満杯ないしは枯渇してきた社会になっている」と言う部分です。続けて、「不確実性や複雑性がリスクやオプションとして切り出されすぎる社会になっている」と。

うーん、確かに。社会的失脚の主な理由が不倫だったり(昔は汚職等犯罪だったのでは?)、差別的な創作に対して当事者の一部が騒ぐ(当事者が一枚板ではないし、騒がない権利、求めない権利もあるのでは?)こととかから、今の社会って息苦しいなと感じることがあるので、ここにヒントがありそうな気がしました。と、ここ最近感じていたことを言い当ててるイアン・ハッキングさんの原典当たらないととか、これってポピュリズム(3年前に大学院の講義で買った本未だに読めていない汗)も関係してきそうだな、とか。そもそも良い文章、良いコンテンツは、読みすすめていくと深堀して行きたくなるもの、それに耐えるものであるのではないか。

そもそも、身の回りのものを処分する際にはヤフオク!やメルカリやジモティー使うし、料理するときにはクックパッドみるし、買い物するときには価格com見るよね。なんて、インターネットの活用している。いや、待てよ。フリー経済を享受する一方のことも考えないとなと。例えば「〜してみた」を動画タイトルにつけるとか、検索上位に出てくるタイトルは似たようなものばっかり。SEO対策万全、左様ですか。収益重視、ユーザー数重視のコンテンツ・ビジネスモデルの弊害を考えるフェーズにあるのかなと思いました。